「スティーブ・ジョブズと日本」より

スティーブ・ジョブズと日本」より
日本企業から学び、競い合った
iMacの新製品発表会でソニーの共同創業者、盛田昭夫氏を追悼するジョブズ(1999年10月5日)/写真:AFP=時事
ジョブズが続いて影響を受けたのが家電メーカーのソニーだ。特に共同創業者の盛田昭夫を慕っていたことがよく知られている。ジョブズが亡くなる日からちょうど12年前に行われた新製品発表会で、その直前に亡くなった盛田への追悼として、彼がトランジスターラジオやトリニトロンテレビなど数々のソニー製品にワクワクしてきたことを語り、発表する製品を盛田に喜んで欲しい、と語った。
ジョブズのトレードマークとなったジーンズと黒いイッセイ・ミヤケのタートルネックという格好も、ソニーの工場従業員の制服にヒントを得たという。工場を案内してくれた盛田に、なぜ、従業員が同じ服を着ているかを尋ねると、盛田が戦後は服がなく、会社の側で支給する必要があった話をしたそうだ。
これに感銘を受けたジョブズが、アップルでも社員に制服を着せようとするが、社内から猛反対にあい、代わりに自分だけが数百着オーダーしたイッセイ・ミヤケのシャツを着続けた。
ジョブズは、その後も出井伸之代表取締役を辞める頃までは、ソニーと深い関わりを持ち続けた。当時の社長の安藤国威を製品発表の壇上に招いたこともあるし、プライベートでもソニーの重役とコンサートに行ったり、日本食を食べに行ったりすることもあった。
訪日時に突然、ソニーを訪問し、新製品についてのアイデアや寸評を聞かせることもある一方で、ソニーの直営店事業などについて熱心に学ぼうとしているところもあった
ジョブズと関わりが強かった日本企業のもう1社がアルプス電気だ。初期のパソコン製品で、フロッピーディスクドライブの供給元として親しくなり、何度か工場を訪問した。アルプスの社員をアップル社内に招いてアドバイスをもらったり、ジョブズ自身がアルプスの工場で講演をしたこともある。工場の自動化などについても、アルプス電気から熱心に学んでいたようだ。

日本の職人技を愛したジョブズ
ジョブズと日本との付き合いは、こうしたビジネスだけの付き合いにはとどまらない。
彼は日本のライフスタイルや美意識にも大きな関心を持ち続けた。2000年に発表されたiMacの白モデル(Snow Whiteモデル)は、親友でIT企業・オラクル社の創業者、ラリー・エリソンの自宅の和室で畳の間に合うような色にしたという。
ジョブズはソファ1つの購入に7年近く議論を続け、洗濯機1つの購入のために数カ月間毎晩夕食で話し合うというほど、もの選びに厳しい人物だが、日本の職人の技にはことさら大きな敬意を払っていた。
先にも触れた服飾デザイナーの三宅一生には、盛田に紹介されたのをきっかけに何度か会っていた。自分用にイッセイ・ミヤケの同じ服を何百着も購入したほか、長い調査の末にようやく発見した血のつながった妹(小説家のモナ・シンプソン)に最初に送ったプレゼントもイッセイ・ミヤケの服だった。
富山県立山町越中瀬戸焼の陶芸家、釈永由紀夫とも親交があった。90年代中頃、ジョブズが大好きでよく訪問していた京都のギャラリーで見つけて気に入り、3日間通って作品を色々と購入。その後も電話やFAXで、多くの作品をオーダーしていたという。
京都にはプライベートでよく訪問しており、俵屋旅館を定宿にしていた。
病気を患った晩年も、長男や娘を連れて何度か京都の寺巡りをしている。特にお気に入りだったのは、禅宗の1つである臨済宗西芳寺苔寺)だったようだ。
日本食を愛したジョブズの最後の置き土産
そばと寿司も、ジョブズの愛情の対象だった。若い頃は果食主義者(果物しか食べない)で、その後も厳しい菜食主義をとり続けていたジョブズだったが、日本食だけは特別扱いだった。
そば好きが講じて、アップル社の社員食堂「カフェ・マック」の調理師を築地そばアカデミーで修行させ、自ら考案した「刺身そば」というメニューを出させていた。
一方で、シリコンバレー寿司店「陣匠」や、寿司と懐石の店「桂月」もよく訪問した。秘密主義の同氏だが、開発前の製品を持ち込んで仕事の話をすることもあれば、死期を悟って社員達とお別れ会を開いたこともあったという。
有名人でも特別扱いをしない桂月で予約が取れず、寿司の持ち帰りを注文し、自ら取りにきたこともあったそうだ。好きなネタは中トロ、サーモン、ハマチ、ウミマス、タイ、サバ、そして穴子
桂月では娘を連れてきて2人で穴子の寿司を10貫たいらげたこともあったという。
ただ、ガンの症状がひどくなってきた2011年7月には、陣匠で好物を8貫頼むも、手を付けられず、代わりに鍋焼きうどんを頼むも、それも手を付けられず、必死に食べようとしながらも、見つめているだけということもあったそうだ。
ジョブズは、惜しまれながら2011年10月5日に亡くなった。実はこの日は、桂月が店を畳む2日前だった。桂月は同年、売却するか閉店するかが決まっていたが、それを知ったジョブズは、亡くなる前に同店の経営者で調理師の佐久間俊雄に次の仕事場を提案していた。ジョブズの提案を受けた佐久間は、ジョブズが去った後のアップル社の社員食堂で、ジョブズが愛した味を振る舞うことになる。アップル社と日本を愛し続けたジョブズらしい社員達への置き土産といえそうだ。

著者
林 信行HAYASHI Nobuyuki
1967年東京都生まれ。1979年からアップルなどのコンピューター業界の動向に関心を持ち、米国ヒューストン大学在学中の1990年からフリージャーナリストとして取材・執筆活動を始める。1991年以降、アップルが開催するイベントのほとんどに参加し、1993年に当時のCEOジョン・スカリー氏にインタビューをするなど、多数のアップルの役員や関係者を取材。スティーブ・ジョブズのアップル復帰後初めてのMac World Expo(1997年1月)や、Worldwide Developers Conference 2011でのジョブズ最後の講演も取材した。著書に『スティーブ・ジョブズ~偉大なるクリエイティブ・ディレクターの軌跡』(アスキー/2008年)、『スティーブ・ジョブズは何を遺したのか』(日経BP社/2011年)など。

'Toro', 'Salmon' and 'Hamachi' were Steve's favorites.
'Five toros and five Hamachis' were his regular order.

On his last visit to Kaygetsu, he ate 'Negi-toro' and 'shrimp tempura.' Toshio also prepared 'Pumpkin tempura' but Steve wasn't in a condition to finish it.