世界最古の企業は大阪で578年に創業した建設会社「金剛組」

https://dailynewsagency.com/2020/02/28/world-map-of-the-oldest-f45/

(朝日新聞デジタルより)
創業1400年、金剛組に異変 「最古の企業」当主不在

 「日本最古の企業」ともいわれる社寺建築「金剛組」(大阪市天王寺区)が、異例の当主不在に陥っている。記録が残る過去400年で初の事態という。聖徳太子の命で四天王寺を建立して以来という伝統をどう守るか、模索が続く。

 宮大工たちが1年の安全を祈る神事「手斧(ちょんな)始め」(大阪市無形民俗文化財)が四天王寺で挙行された今年1月11日、異変があった。「四天王寺正大工(しょうだいく)」の称号を持つ金剛家当主の姿が、なかったのだ。

 金剛組によると、1千年を超える昔から、当主が式を毎年取り仕切ってきたとされる。ところが昨年10月28日、39代目金剛利隆さんが後継者不在のまま89歳で死去してしまった。

 とりあえず、今年の儀式は金剛組相談役の植松襄一(じょういち)さん(71)が、前例のない「正大工代務者」となって挙行した。19歳で入社し、四天王寺から「権大工(ごんだいく)」(正大工の補佐役)の称号を拝受している。「伝統ある儀式を続けられてほっとした」と話すが、当主不在は長引く可能性がある。

 金剛組四天王寺に具体的な記録が残る17世紀以降、金剛家が当主不在で「手斧始め」を迎えた例はない。だが、後継者難や経営危機は何度もあった。

 亡くなった利隆さんが病床で完成させた著書「創業一四〇〇年」によると、江戸時代、病弱だった33代目は26歳で自ら正大工を退き、継いだ34代目も「職道不熟」で退任に追い込まれ、分家からの養子でしのいだ。明治時代、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で四天王寺が寺領を失うと、お抱え宮大工の扶持(ふち)米2石3斗もなくなり、経営が悪化。他の社寺の仕事をもらってしのいだ。

 1932年、37代が後継者がないまま先祖の墓前で自殺。急きょ、38代目となったのが妻の故・よしえさんだった。48年、福井県の建設会社で働いていた利隆さんを婿養子に迎えて後継者のめどを付けると、55年には株式会社化して経営を再建。社寺の鉄筋コンクリート造りに素早く対応するなど、「なにわの女棟梁(とうりょう)」として名をはせた。

 しかし、マンションなども手がけたバブル期の拡張主義が遠因となり、2005年に経営危機に直面。06年に中堅ゼネコン高松建設大阪市)の支援で子会社となった。その際、社長だった利隆さんの一人息子が責任を取って退社し、金剛家が経営から退いたことが、今回の当主不在の事態につながった。

 ただ関係者は、金剛家からの正大工を期待している。高松建設から金剛組に転じた刀根健一社長(59)は「120人の専属宮大工には、伝統ある『金剛家の弟子』との自負がある。社寺との信頼関係や精神面で金剛家が必要だ」と話す。

 四天王寺吉田明良(めいりょう)・総務部長(46)も「寺は災害や戦災で7回失われたが、金剛家のおかげで再建できた。1400年の付き合い。いつかまた正大工を担ってほしい」と願う。

 相談役の植松さんは「当主不在は長い歴史に比べたらほんの1ページ。ふさわしい40代目が現れるまで技術と伝統を預かっていく」と決意している。(矢吹孝文)

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金剛組のあゆみ(同社調べ)

578年 初代・金剛重光が百済から渡来して創業

593年 聖徳太子の命で四天王寺を建立

1576年 織田信長本願寺の戦闘で四天王寺が炎上

1614年 大坂冬の陣四天王寺が炎上

1868年 明治維新廃仏毀釈四天王寺が寺領を失う

1934年 室戸台風四天王寺五重塔が倒壊

1945年 大阪大空襲で四天王寺が炎上

1955年 株式会社化

2006年 高松建設の支援を受け、新会社に移行

2013年 利隆さん死去

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 〈金剛組〉 西暦578年の創業と伝わり、帝国データバンクは「把握する限り日本最古の企業」と説明している。日本書紀に「百済に行った使者が僧や造寺工を連れ帰り、難波(大阪)に住まわせた」という趣旨の記述があり、金剛組系図は「用明天皇の皇太子(聖徳太子)が金剛、早水、永路の3人の大工を召して四天王寺を建立した。この金剛重光が当家の始祖である」と伝える。
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誇らしいですね。 高松建設の傘下に入っても(?)会社形態が違ってもまだ続いている、と言えるのであれば、よその国ももっとあるのではないかなと思ってしまったのですが。。